保田興重郎歌碑
梵鐘のある鐘楼堂の下に、一つの歌碑がありました。見ると「保田興重郎歌碑」とあります。この保田興重郎は、昭和初期に活躍した文芸評論家・作家であり、保田家は奈良県の桜井市に家があり、融通念仏宗の檀家でもあるそうです。
「けふも亦 (また)かくてむかしとなりならむ 己か山河 よしつみけるかも」
と書かれた碑がありました。
昭和56年10月4日に亡くなった保田興重郎は、昭和10年に亀井藤一郎氏らと共に「日本浪曼派」を創刊し、反近代主義や審美主義的評論を展開し、左翼退潮期の論壇・文壇に大きな影響を与えたそうです。彼の著作には「日本の橋」「戴冠詩人の御一人者」「後鳥羽院」などがあります。昭和60年には講談社より「保田興重郎全集」全40巻が刊行されています。
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