東京新宿区の穴八幡宮

穴八幡宮の縁起・創建

穴八幡宮の縁起・創建だが、1062年(康平5年)源義家が奥州からの凱旋の途中で、に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったのが創建とされている。

なんで、穴なのさ

なんで、「穴」なんて名前を冠するようになったかといえば、穴を掘ったからw
まあ、そう言ってしまえば、何だか身もフタもないのだが、1641年(寛永18年)に、宮守の庵を造ろうとして、良晶(坊さん)が山を切り開いていると横穴が見つかった。すると中から金銅の御神像が発見された。穴を掘ったというより穴を見つけたというのが正しいかw
そりゃあ、掘った人は大喜び。以来、「穴八幡宮」と称するようになったという。昔のことだからな、発見者が坊さんでよかった(´∀`)。現代の世知辛い民間人だと、発見者のモノだと、なんたら鑑定団に出して、売ってしまうだろうw

穴八幡と徳川幕府

穴と神像発見のことを聞いた3代将軍徳川家光。この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所として、加えて城北の総鎮護とした。そういう認定を受けると、そのあと、8代将軍徳川吉宗なんかは、1728年(享保13年)に流鏑馬を奉納したりする。

流鏑馬

流鏑馬は「やぶさめ」と読む。
8代将軍徳川吉宗の奉納のあとも、けっこう誕生のときや、厄除けなんかのために奉納されたという「流鏑馬絵巻」なんてのも、穴八幡宮には伝わっている。

 

そんな穴八幡神社だったんだが、1945年(昭和20年)の東京大空襲。まあ、ここだけじゃなくて、多くの建物が失われた。
世の中に高度経済成長時代が到来。復興がはじめる。1961年(昭和36年)は、御鎮座900年事業として本殿再建工事を開始し、1998年(平成10年)、隨神門を室町時代の様式で再建するなどを今でもやっている。とにかく古書を基に、次々と再建を続けている。この建築、再興に対する熱意は、奈良の西の京の薬師寺なんかを思い出させる。
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穴八幡神社で、名前が知られているものには、冬至の「一陽来復」のお守りがある。また布袋像の水鉢は、新宿区指定有形文化財(工芸品)。
また高田馬場流鏑馬は、 新宿区指定無形民俗文化財だそうだ。

 

 


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