橘寺を訪ねて

1 田畑の中に石碑

明日香路を散策していると、田園風景の中に歴史的に重要なもの、自分たちが教科書で習ったような者の実物が唐突にあって、びっくりすることがよくあります。橘寺のすぐそばにある「聖徳太子御生誕所」という石碑も田畑間を走る道の端にポツンとあります。岡寺に行く道で偶然見つけました。この石碑がなければ、この何度も訪れている明日香の地が聖徳太子ゆかりの地であるという歴史の教科書からすれば重要なことは、万葉集など後々の趣味のせいでずっと頭の片隅においやられてしまって、思い出すこともなかったかもしれません。そして、この石碑を見つけなければ、この石碑のすぐ近くにある聖徳太子一族の菩提寺でもある橘寺に思い至ることも、足を運ぶこともなかったかもしれません。

 

2 奇石ここにもあり

子供の頃、親に連れられて初めて明日香をサイクリングで訪れた時の印象は社寺のよりも、「名前の付いた不思議な石が点在している」(鬼のまないた、鬼の雪隠など)という方が強かったのを今でも覚えています。ここ数年はどちらかと言うと、社寺や万葉集に詠まれた景色などを探すことが多かったので、石舞台をランドマークにするくらいで「奇石」の存在をすっかり頭の片隅に追いやられていました。けれど、橘寺は善悪二つの人の顔のように見える二面石や、巨石ではありませんが、聖徳太子の生誕場所というだけあって、太子由来の三光石(日・月・星)など、不思議な石が残されていて、子供の頃に抱いた明日香の「不思議な石のある場所」というイメージがまた湧いてきました。

 

3 不老長寿の木の実

 ちょうど訪れた時期が10月の末、この年は紅葉も遅く、本堂に向かう石畳の左側を縁取るように植えられた木々はまだ青々としていて、少し遅めの花盛りを迎える木もあるほどでした。(同日訪れた岡寺の彼岸花もひと月遅れで花盛りだったので運がよかったのかもしれません)その中に、橘が植わっていました。橘寺と言うくらいなのだからあるだろうなと予想はしていました。けれどそこにあった立て札に「トキジクノカグノコノミ」とそれに関する説明がありました。子供の頃、祖父に読んでもらった日本の神話集に出てきた、ときじくのかくの木の実の話を思い出しました。ここに来てまた昔の記憶を掘り起こされるとは、思いつきで立ち寄ったとは言え、自分の記憶を他の誰かにも見られているような不思議な感じがしました。

 

4 聖徳太子の愛馬

本堂の右前には、お腹に金色の橘の模様を付けた黒駒像という、聖徳太子の愛馬の像があり。これに乗って各地に説法に行かれたと言う説明がついていました。その社寺やご祭神に縁があると、像にされているのを他の社寺でもよく見かけましたが、本堂のからすぐ、写真にしたら同じフレームに収まってしまうほど近くに像が設置してあるのが、ただ単に縁があるだけでなく、「太子の愛馬」であったんだなと思いました。寺なので、狛犬やそれに準ずるものはもちろんいませんが、ちょうど本堂に入る直前の右にいるので、本堂に寄り添いながら守っているようにも見えました。個人的に馬に乗っているアクティブなイメージよりも、どちらかというと頭脳明晰な聖徳太子のイメージが強かったので、馬に乗っている聖徳太子のお姿が頭の中に一つ増えました。

 

美人の観音様

正面の太子堂の右側の観音堂には、その名の通り、観音様がいらっしゃいました。あまり仏像は詳しくないのですが、明日香の地にありながら、少し時代を下った頃の作、アルカイックスマイルでこそないのですが、完全な日本人顔とも言い難いような、丸顔でふくよかな顔に柔和な笑みをたたえている、とても美人な観音様でした。やや幼顔に寄っているので、見る人によっては「可愛い」と思われるかもしれません。そして、手が五本(後日確認したら六本でした)ありました。それぞれ花を持ち、桃を持ち、頬杖をつき、それぞれの手が各々の役目をして、絶妙なバランスで配置されていました。そして今までは、なんとなく立っているイメージのある観音様ですが、足の裏をくっつけるようにして座った観音様を見るのも初めてでした。
どちらかというとインドの神様の絵で見たことがあるような構図でした。

 

天井いっぱいの花

橘寺の敷地内にある往生院は、他の観音堂や太子殿とは違って、少し裏手から入る広くがらんとした空間が、もちろん奥の正面には阿弥陀様が配されてはいるのですが、どことなくお寺の本堂というよりは広間のようでした。実際多目的ホールのような役目をしているようですが、その天井には一マスずつ花の絵がはめてありました。すべて異なるタッチで、描いている人が違うというのが一目でわかりました。ホールに使えるくらい広いので、軽く数えただけでも二百を超えていました。カトリックの聖堂は、天国の様子をこの世に再現していると言われますが、この天井に花の絵の敷き詰められた往生院も、花の咲き乱れる極楽浄土をこの世に再現した一例のように思えました。

 

現在の橘寺

橘寺は現在、それぞれ後世に建てられた物太子殿、観音堂、往生院、宝物殿など、一つの敷地にいくつものややこじんまりした建物がひしめくでもなく、塀に囲まれてこそいますが、現在は伽藍作りに則さず、ゆったりとそれぞれに適度な広さを持って構成されています。それを思うと、建造時の橘寺がそれなりに大きな規模だったのではないかという事が想像できます。しかし庭に橘の木や、他に植えられた四季の花々、寺の端にある池と、そこに小さく残された社に、そして何よりこの地に他に名だたる寺があるからでしょう、どこか静かで落ち着いた別荘のような雰囲気を感じました。仏教を推進していた、聖徳太子ですがその生誕地は、とても穏やかな気持ちになる場所でした。

 

Satoko Feb 2017 - Apr 2017


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