このお寺は、山林騒動(天領地裁判)で、伏見奉行の判決を不服とした村の人々が、代表者を立てて江戸奉行まで嘆願に行き、当時貴重だった杉山を獲得し、そこから判決をくださった所縁の社寺奉行建部政宇をおまつりするようになっています。貴族院として爵位返上まで兵庫県に林田藩建部家がありましたが、東京の建部さんと最近養子縁組をし、このお寺は廃寺になります。私は末代の子供ですが、祖父の師匠であった植物博士牧野富太郎さんの命名した巨大な枝垂桜「正福寺桜」が県の指定保存樹として庭にあります。とても美しく八重咲の桜です。四月下旬には必ず咲き誇るので、近所の人たちが毎年見に来ます。除夜の鐘つきも行われてきましたが、廃寺は今年行われるので今年が最後でした。
メヌエッタ (30代女性) 昭和56年から平成29年まで