成田山深川不動堂の歴史、沿革

成田山深川不動堂の歴史、沿革

 

昔の寺の縁起が歌舞伎などの題材になることは少なくはないだろうが、成田山深川不動堂の場合、歌舞伎がもとで、成立したという。
江戸時代、歌舞伎役者市川團十郎が不動明王が登場する芝居を演じた。その結果、成田山の不動明王が大人気。これを拝観したいという江戸の庶民たちのあいだで高くなったのだ。
江戸期は、結構今にも通じるビジネスや商売が成立し、発展した時期じゃないかと思う。そんな機運を見逃さず、元禄16年(1703年)、成田不動の「出開帳」が行われた。東京国立博物館に仏像が展示されるようなものだが、美術品としてではなく、信仰の対象だからなぁ、ちょっと違うか。御開帳は、富岡八幡宮の別当である永代寺で行われた。
成田山深川不動堂の始まりは、このイベントが起源だとされている。江戸の街では、成田不動の出開帳は,江戸時代に12回行われた。20年に一度くらい・・かな。11回が深川永代寺での開帳だった。

 

永代寺は明治維新後、神仏分離令により廃寺とされた。その境内は、今の深川公園となった。
永代寺がなくなっても、成田山不動尊の信仰、人気は衰えない。結局、明治11年(1878年)に現在の場所に「深川不動堂」として存続することを東京府が認めることになった。成田山深川不動堂の境内(土地)は、深川公園の一部を永久かつ無償で借用することを認めている。「永久、無償」ってけっこう大胆な決定だな。今の都庁の役人にはそんな決断はできないだろうw大騒ぎになりそうだ。
3年後の明治14年(1881年)に本堂が完成する。本堂は、けっこうひどいことになっている。関東大震災、東京大空襲と二度にわたって焼失している。ところがそんな中でも本尊は焼失を免れている。
ちなみに、廃寺になった永代寺だが、門前にあった塔頭の吉祥院が明治29年(1896年)に再興されて、名を継いでいる。
成田山深川不動堂や人情深川ご利益通りだけじゃなくて、こちらもね。

 


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