元の木阿弥にゆかりのある角振町 参拝記 5/6
この隼神社がある角振町は、面白い人にゆかりがある町です。遥か昔の南北朝時代、大和を治めていたのは筒井一族でした。当時の当主である筒井順昭は、天文19年(1520年)病に倒れてこの近くの南都林小路の下屋敷で養生していました。跡継ぎの藤勝(後の筒井順慶)はまだ幼く、筒井家の行く末を案じた順昭は家臣を呼び寄せてこのように話したそうです。
「自分はもう長くは生きられない、しかし自分の死が露呈するときっと筒井は攻め滅ぼされてしまうであろう。それを防ぐためには自分が生きている事にしておく必要がある。ついては角振町の隼の祠近くに黙阿弥という盲目の法師がおる。以前から筝などを奏でて自分を慰めてくれたが、不思議な事に自分によく似ている。その黙阿弥を身代わりにたてて、体制が整うまでをしのぐように。」と伝えたそうです。そして天文20年の6月20日、まだ28歳の若さで没したそうです。
この事は筒井家の重心の一部だけが伝えられており、その遺言に従って黙阿弥を探し出し、身代わりとして屋敷に招き入れたそうです。一年後、順昭の命日の日に、体制が整った事と判断して順昭の死を発表し、葬儀をおこなったという事です。黙阿弥はお礼をもらって再び法師に戻ったと言われており、この話から「元の木阿弥」という言葉が生まれたそうです。
元の木阿弥というと、あまり良いイメージがありません。黙阿弥は確かに一時期名家の殿という立場になりましたが、正統なる跡継ぎがいるので時期が来たらちゃんとその地位をお返ししているという事でもあるのです。それは法師である黙阿弥の心が清くお金や地位に強く執着していなかったという事でもあるかもしれませんね。
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