三囲神社にお参りした後は、隅田川七福神の布袋尊、弘福寺へ向かいました。レトロというには新しいがどこか懐かしい感じの街並みを歩いていると、「向嶋墨堤組合」と書かれた案内板が目に入りました。花街の統括管理を主な業務としている団体です。案内板を読んでいると、和服姿の女性が数名、建物から出て行くところが見えました。江戸時代から続く向島の文化の一端を見たような気がします。
墨堤組合からさらに歩くと、屋根が二層になっていて、個性的な形をした山門が目に留まりました。弘福寺です。門をくぐると、正面に大きな建物が見えました。大雄寶殿といって、本堂にあたる建物です。こちらも屋根が二層で、黄檗建築の様式を取り入れているために独特な造りになっています。山門と大雄寶殿が、境内全体の雰囲気を作り出しているような感じがしました。
山門を入って右手には、咳の爺婆尊があります。素朴な感じの石像でした。病が全快した折にはお礼として番茶を添えて供養するという風習があるそうですが、実際にはペットボトルのお茶が供えられていました。
大雄寶殿の右側には、墨田区の文化財に登録されている池田冠山の墓があります。亀の形をした台座の上に墓碑が載っていて、滅多に見ることのできない形をしています。後で調べてみたところ、こうした台座は亀趺(きふ)ということがわかりました。大雄寶殿の右手前にも同じような形の石碑がありますが、こちらの方が大きいです。
弘福寺にいたのは十数分程度と長くはありませんでしたが、限られた時間の中でいろいろと面白いものを見せていただいたように思います。