1.三囲神社へ向かう
牛嶋神社にお参りした後、三囲神社へ行くことにしました。牛嶋神社を出て、国道6号を渡ってコンビニの横の道を入ると、昭和時代にタイムスリップしたかのような、どこか懐かしい感じの街並みが開けてきます。この道をしばらく歩いていくと、目的地に着きます。
途中にすみだ郷土文化資料館が見えました。資料館では面白そうな企画展を開催しているので、いつか行ってみたいと思っていたところです。しかしながら午後3時半を過ぎていて、資料館に立ち寄ると神社に行けなくなると考えた私は、資料館の方をあきらめました。後日にぜひ行きたいと思います。
資料館を過ぎて、小学校を過ぎると神社の鳥居が見えました。三囲神社です。石でできた大きな社号標や、鳥居に掲げられた扁額には「囲」が旧字体で書かれているところが、いかにも歴史の古い神社らしいです。「囲」の旧字体は初めて見ました。
2.古い石造物がたくさん
鳥居から拝殿へ続く参道の両側には、古い石造物がたくさんあります。伊賀上野城主・藤堂高睦が1707年に奉納したとされる石灯籠、旧三越池袋店から移したライオン像、「コンコンさん」と呼ばれる一対のキツネの像、1693年の江戸干ばつの折に宝井其角が俳句を詠んだところ、翌日に大雨が降ったというエピソードを伝える「雨乞いの句碑」…このほかにも数多くの古い石造物が並んでいます。
特にライオン像については、三越池袋店を知っているだけに懐かしく思うと同時に、「こんなところに移されたのか」と意外な気もしました。
ここまでのところ、三囲神社は素朴で、規模は大きくも小さくもなく、歴史の古さが感じられて、地域に根差しているといった感じです。このときには、後に待ち受けているものが何であるかを全く知りませんでした。
3.拝殿の裏手にも見どころがいろいろ
参道で古い石造物をたっぷり眺めた後、拝殿にお参りしました。拝殿は古い木造の建物で、参道沿いに並ぶ石造物や、千社札がたくさん貼られた神楽殿とともに、素朴な雰囲気を醸し出しています。
拝殿の左側に目をやると、隅田川七福神の大黒神と恵比寿神を祀った社殿があったので、そこにもお参りしました。隅田川七福神というのは三囲神社に来て初めて知りましたが、お寺でも神社でもない向島百花園(福禄寿)が含まれているところがユニークだと思います。
その後本殿の裏手に進むと、参道沿いよりも多くの石造物が目に入りました。宗因白露の句碑、其角惜春の句碑、朱楽管江(あけらかんこう)辞世碑、蒙恬(もうてん)将軍の碑…数えきれないくらいたくさんあります。
4.三角石鳥居
本殿の裏手には、富士見稲荷、顕名(あきな)霊社といった境内社もありました。三井家の先祖を祀っている顕名霊社は、小ぢんまりとしていながらも風格のある社殿が特徴的といえます。しかしながら、周囲が立ち入り禁止になっていたのであまりよく見ることができませんでした。
顕名霊社を眺めた後は、個性的で面白い石造物が目につきました。三角石鳥居です。三本の柱からできた鳥居で、上部の横柱が三角形になっています。原型は京都・太秦の木島神社にあるそうですが、他では見ることができない、実にユニークな鳥居です。三囲神社の見どころの一つといえるでしょう。
三角石鳥居や顕名霊社の周辺にも、相変わらず古い石造物がたくさん並んでいました。そして石造物の中をさらに歩いていくと、その先にまた違った空間が現れたのです。
5.不思議な空間
目の前に現れたのは、赤い鳥居がたくさん並んだ空間です。
おびただしい数の鳥居をたどっていった先には、キツネの像とともに祠があります。鳥居の並んだ参道は複数あって、祠も複数ありました。空間のほぼ中央にあるのは老翁老媼の石像です。像のそばにある解説によれば、この空間一帯は白狐祠(びゃっこし)といい、老翁老媼は実在の人物だったようです。
単なる言い伝えではなく、実在とされる人物の徳をたたえているところに、この空間のユニークさがあるといえそうです。散策していると何ともいえない魔訶不思議な気分になりました。
この空間は、拝殿左側から恵比寿神・大黒神、顕名霊社、三角石鳥居と本殿の周囲を反時計回りに進んだ先、本殿の右側に位置しています。拝殿の正面からは右側に鳥居の一部が見えるだけで、一見すると小規模な境内社のような感じです。でも実際にはずっと大きく、奥の深いものでした。