成願寺

成願寺
じょうがんじ
東京都中野区
https://www.nakanojouganji.jp/

 

あおきリサの参拝記

1.ヨガが盛ん?

中野坂上駅を出て山手通りを成願寺の方向へ歩くと、ヨガスタジオの看板やポスターが目につきます。しかもそれぞれのスタジオが他との違いを打ち出していて、カフェを併設したスタジオ、ホットヨガスタジオなどあります。
「この地域はヨガが盛んなのか」と思いながらさらに歩いて成願寺前のバス停に着くと、なんと成願寺でもヨガ教室を開催していることがわかりました。
自宅の近くには自分に合ったスタジオがなく、遠くのスタジオに不定期に通っている者としては、ヨガのできる場所が複数そろっているのは何ともうらやましいばかりです。
バス停を過ぎて、大達磨絵を横目に山手通りをさらに歩くと、ほどなく山門に着きました。黄檗宗の様式を取り入れた二層の山門は、個性的なたたずまいを見せています。

 

2.六地蔵と鈴木九郎

山門をくぐるとまず目についたのは、六地蔵です。地蔵像の横には、今昔物語に基づく六地蔵の物語を書いた立て札があり、玉祖惟高(たまのおやのこれたか)という人が、死後に6人の子供の僧からお告げを受けた後に生き返り、その後6体の地蔵の像を彫って、皆で拝んだという話が載っていました。命あるものが死後に向かうとされる六道(天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)のそれぞれで地蔵菩薩が魂を救済する、ということは知っていましたが、今昔物語に基づく六地蔵の話を読んだのは、今回が初めてです。
六地蔵から本堂の方向に少し進むと、成願寺の開基・中野長者鈴木九郎の墓があります。他の墓にない独特な存在感のある墓には、新しい花が供えられています。手入れもきちんとしていることから、大切にされている様子がよくわかりました。
墓の横には鈴木九郎にまつわる物語が、絵入りで壁一面に載っています。「大観通宝」と書かれた個性的な寺紋の由来も、物語を読んでわかりました。

 

3.開山堂と百観音堂

その後本堂に参拝し、参拝者向けの資料をありがたく頂戴しました。成願寺には資料が何種類もあり、広報活動を積極的に行っている様子がうかがえました。
続いて向かったのは、龍鳳閣と呼ばれる開山堂です。中に入ると、正面中央には成願寺の開祖・川庵宗鼎(せんあんそうてい)の像、右側には曹洞宗の開祖・道元禅師の像、そして左側には曹洞宗を広めた瑩山(けいざん)禅師の像が安置されていました。さらに右側の壁には釈迦から三十三世の住職までの法脈図もあります。宗派に対する誇りを感じると同時に、何とも畏れ多い空間だと思いました。
さらに龍鳳閣の隣にある圓通閣にも足を踏み入れてみました。圓通閣は百観音堂で、坂東三十三ヶ所、西国三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の観音霊場の観音と同じ姿の像が納められています。試しに観音像の数を数えてみたら、本当に100体ありました。せっかく参拝したのだから、百の観音霊場を巡礼するのと同じ功徳が得られることを期待したいです。

 

4.鍋島家墓所と鍋島地蔵

百観音を拝んだ後は、墓地を散策することにしました。案内板に従って墓地に入ると、中ほどに鍋島家墓所があります。ところが墓所の正面に、墓石を遮るような恰好で木が生えていたので、「鍋島家墓所」と書かれた立て札がなければうっかり見落としていたところでした。
鍋島家墓所は、有力者の墓所にしては控えめな感じです。過去に他のお寺で見たような、古くて大きな墓石が圧倒的な存在感を示し、一見すればすぐにわかるような墓をイメージしていただけに、意外な気がしました。墓所の中では、ほぼ中央に位置していて、両開きの扉のある、厨子のような形をした墓石がひときわ特徴的でした。
次に、中野区の文化財に指定されている鍋島地蔵を拝観しました。幼くして亡くなった少女の霊を慰めるために建立されたこともあるのか、大きい石像でありながらどこか控えめな印象でした。

 

5.たから第六天

境内を一通り回った後は、境外堂のたから第六天へ向かうことにしました。山門を出て、山手通りを渋谷方面へ300メートルほど歩いた左側に、たから第六天があります。
途中、神田川を渡ったところで渋谷区との区境の標識が見えると、かなり遠くまで来てしまったような感じがしました。でもそうした感覚があったのはほんの一瞬だけで、すぐに「たから第六天」と書かれた幟が何本も見えました。目的地に到着です。
たから第六天の建物の中には他化自在天(第六天)の像が安置されています。像の周りには色とりどりの千羽鶴やたくさんの花、そして鏡餅などが供えられていました。平成8(1996)年に移転改築したという現代風の建物と、新年にふさわしい華やかな演出から、成願寺の境内とはまた違った雰囲気が感じられました。