大圓寺

たまたま見つけて、行こうと決めた

その日は白金台の覚林寺(清正公)にお参りした後、バスで目黒駅へ向かいました。バスを降りるとすぐに周辺の地図が目について、たまたま大圓寺を見つけたので行こうと決めました。決め手になったのは境内の広さと、地図中に「とろけ地蔵」と書かれていたことです。それなりに規模が大きく、見どころもあるのではないかという期待が持てたのです。
バス通りから少し奥に入ったところに、行人坂(ぎょうにんざか)と呼ばれる急な坂があります。「目黒にこんな急な坂があったのか」と妙に感心しながら坂を少し下ると、勢至菩薩の石像が目に入りました。素朴な感じがして、古いながらも大切にされている様子がうかがえます。解説によると、目黒川の架橋にちなんで建立されたそうです。
そもそも私は、大圓寺というお寺の存在を知りませんでした。たまたま見つけたお寺に期待以上の見どころがあることを、このときは全く予想していなかったのです。

 

迫力!五百羅漢像

勢至菩薩像の隣にある門を入ると、左手の斜面一面におびただしい数の石像が並んでいる様子に目を奪われました。五百羅漢像です。とにかく迫力があります。この五百羅漢像は、江戸三大火事の一つに数えられる「行人坂火事」(1772年)の犠牲者を供養するために建てられたと伝えられています。手間暇かけて建立した様子がうかがわれるとともに、火事の犠牲者を悼む気持ちが、200年以上たった今でも伝わるような気がしました。
五百羅漢像の前には、釈迦三尊・十六大弟子の石像があります。釈迦三尊が十六大弟子を従えて、さらにその後ろに五百羅漢が控えているという構図は、美しく、かつ迫力のあるものでした。
さて五百羅漢といえば、六本木の森美術館で開催されている「村上隆の五百羅漢図展」の広告を、駅などで見かけることがときどきあります。日本経済新聞(2015年12月23日付)でも「五百羅漢図 都内で観覧」という記事があり、森美術館のほか、増上寺宝物展示室で開催されている「狩野一信の五百羅漢図展」も取り上げられていました。記事では大圓寺と同じ目黒区内にある五百羅漢寺についてふれていましたが、大圓寺のことは書いてありません。とはいえ、大圓寺の五百羅漢像も十分見応えがあると思います。

 

とろけ地蔵

さらに釈迦三尊・十六大弟子の右側には、古くて形がわかりにくくなった石像があります。「とろけ地蔵」です。漁師の網にかかって出現したと伝えられています。海水に洗われて形がわからなくなっているところが、熱か何かで溶けたように見えるから「とろけ」の名前がついたのか、と勝手に想像してしまいました。この「とろけ地蔵」には、悩み事をとろけさせてくれるという信仰があるそうです。
五百羅漢像のある一帯は「大圓寺石仏群」と呼ばれていて、東京都の文化財に指定されています。個人的にも、それだけの価値は十分にあると思いました。五百羅漢をはじめとする石仏群は、大圓寺のいちばんの見どころといえるような気がします。

 

釈迦堂・本堂・阿弥陀堂

次に釈迦堂・本堂・阿弥陀堂を回りました。
釈迦堂に納められているのは、「生身の釈迦如来」と呼ばれる、鎌倉初期の清涼寺式の釈迦如来立像です。大圓寺の本尊であり、国の重要文化財に指定されています。私が行ったときには本尊を直接拝めませんでしたが、建物から威厳や品位のようなものが感じられました。
本堂は釈迦堂の右隣にあり、門を入ってちょうど正面に位置しています。古い木造の建物で、木の風合いと、軒下に下がっている大きな赤い提灯とのコントラストが鮮やかでした。本堂は釈迦堂とは対照的に、素朴な親しみやすさが感じられます。同時に、本堂らしい存在感もありました。
本堂の右前には薬師如来像があり、御真言を唱えながら金箔を貼って祈願するとご利益があるそうです。金箔が多く貼り付けられているところとそうでないところがあって、ちょっとした微笑ましさを感じました。
本堂の右側には、阿弥陀堂があります。ここには阿弥陀三尊像やお七地蔵が納められていますが、見ることはできませんでした。阿弥陀堂は釈迦堂とも本堂とも趣が異なり、質素さが感じられます。

 

吉三(西運)のゆかりの寺

さて大圓寺は行人坂火事のほか、八百屋お七の恋人であった吉三のゆかりの寺としても知られています。吉三は、お七が放火の罪で処刑された後に出家して西運と名乗り、行人坂の開発や目黒川の架橋に尽力したと伝えられています。
阿弥陀堂の斜め向かい側には、行人坂敷石造道供養碑がありました。お寺の入り口にある勢至菩薩像と併せて見ると、西運の功績の一端がうかがえます。
また阿弥陀堂の周辺には、西運についての解説がたくさんありました。解説を読むと、人間の行いについてあまりにもいろいろなことを考えさせられてしまいます。とても一言では語りつくせません。
大圓寺には、このほかにも庚申塔、六地蔵、七福神などの石像や石碑がたくさんあります。「盛りだくさん」だとか「満載」と表現できるくらいに多いのです。解説も充実していて、そうした解説を一つ一つ丁寧に読みながら境内を回るのは、なかなか面白いものでした。
全く知らないお寺にたまたま立ち寄ってみたら、思いのほか、いや、それ以上にたくさんの収穫があった―大圓寺への参拝を振り返ってみると、そんな気がします。