松月院

1. 車で行けたのに… 

 

萬吉山宝持寺松月院(以下「松月院」とします)の存在は、以前東京大仏(乗蓮寺)へ行ったときに通りかかったので知っていました。新大宮バイパスの新四葉交差点を成増方面に曲がって、少し進んだところにあるお寺です。新四葉交差点で新大宮バイパスと交差する道路は「松月院通」と呼ばれていて、「松月院前」という交差点もあるので、松月院が地域によく知られたお寺であることがうかがえます。
さて松月院へ行こうと思ったところで、地図で調べてみても、インターネットで調べてみても、駐車場に関する情報は得られません。道がわかるので、止める場所さえ確保できれば車で行けるはずなのですが、仕方がないので赤羽からバスで行くことにしました。
これが今回の参拝で、唯一最大の失敗でした。路線バスを使ったために、車で行くよりもかなり遠回りをすることになり、移動に時間ばかりかかってしまったのです。
駐車場は、山門を入って右側にありました。車道からはわかりにくいうえ、私が行ったときには子供が駐車場いっぱいに広がって遊んでいたので、車を止めにくい感じでした。それでも後で振り返ってみると、車を使えばよかったと思います。

 

2. 境内の様子

境内は全体的に、手入れが行き届いているような感じがしました。掃除がきちんとしていて、樹木は形よく剪定してあるのです。また境内のところどころにゴミ箱があり、ゴミを分別して捨てるようになっています。
松月院は公式ウェブサイトを持っていませんが、駐車場の入り口にはイラスト入りの境内案内があって、どこに何があるのかが大まかにわかるようになっています。さらに山門、ヒイラギの大木、高島秋帆顕彰碑、千葉一族の墓、下村湖人の墓といった、主な見どころには詳細な解説がありました。
手入れがきちんとしていながら堅苦しさはなく、案内や解説が割と充実しているところに、参拝客を受け入れようとする姿勢が感じられます。

 

3. 墓地

本堂の左裏手には、広い墓地があります。
まず目についたのは、歴代住職の墓です。僧侶の墓に用いる卵塔(卵型の石塔)がたくさん集まっているので、すぐにわかりました。新旧、大小さまざまな卵塔があり、松月院の歴史を物語っているような感じがします。
歴代住職の墓から通路を隔てた向かい側には、赤塚城主・千葉一族の墓があります。小さく古びた供養塔が数基並んでいて、城主の一族の墓にしては意外と小ぢんまりした印象を受けました。それでも新しい花が供えられているなど、手入れがきちんとなされている様子があって、小さいながらも一種の風格が漂っていました。
次に「次郎物語」で知られる下村湖人の墓をお参りしました。こちらは代々続く家のお墓といった感じで、下村湖人は妻や子孫とともに眠っています。私は墓の前にある解説を読んで、下村湖人が赤塚の地をこよなく愛し、「次郎物語」の中にも登場させていることを初めて知りました。でも「次郎物語」は明治生まれの人が書いた文章なので、現代に比べると言葉が古く、読むのが大変そうな感じがします。
さて墓地から少し離れたところに、古くて立派な墓石が、中雀門から続く塀に沿って何基も並んでいました。山岡家の墓です。墓の造りからして、それなりに身分の高い一族だったことがうかがえます。でも一族についての解説がなく、山岡家がどのような家だったのかはわかりません。その後インターネットで調べてみましたが、そこでも情報が得られませんでした。

 

4. ユニークな見どころ

松月院のユニークな見どころは、塩地蔵と馬頭観音です。
塩地蔵は、中雀門から本堂に向かって左方向に続く塀の外側にあります。地蔵像が4体並んでいて、足元に袋入りの塩が6−7袋ほど供えられていました。文京区にある源覚寺(こんにゃくえんま)の塩地蔵とは違い、地蔵像に塩が塗られていません。
供え物の中には、ナトリウム含有量を減らした塩がありました。塩地蔵の御利益は健康ですが、健康を祈願してそのような塩を供えるあたりに、クスッと笑えるものを感じました。
また私が行ったときには目につきませんでしたが、海外産の岩塩などが供えられていれば、塩地蔵がグローバル化の影響を受けるような気がしました。さらに岩塩でできた地蔵像などがあったら面白いだろうな、と思います。
馬頭観音は、併設の幼稚園の園舎にありました。建物の外壁にくぼんだ所があって、そこに観音像が安置されているのです。屋外に全面的にさらされているわけでもなければ、お寺の建物の中でもないところが、ユニークだと思いました。それにしても幼稚園児は、毎日を園で過ごす中で馬頭観音をどのようにとらえているのか、不思議に思います。

 

5. 大堂

なお境内から少し離れた所に大堂があり、境内を一通り見終わった後に足を運んでみました。解説によると大堂は鎌倉時代以前からあり、阿弥陀如来を本尊としています。大堂も鐘楼も今では老朽化が進んでしまいましたが、建物の裏には広い墓地があり、かつてかなりの規模を誇っていた面影がかろうじて残っているような感じがしました。
大堂の隣には、八幡神社があります。解説によると、かつては下赤塚村の鎮守社だったそうです。規模が小さく、訪れる人がほとんどいないような神社でも、20年ほど前に行われた改修工事の際にはかなりの寄付があったようです。また毎年3月に、獅子舞が奉納されているそうです。小さな本殿の奥にはさらに小さい鳥居と末社があります。こうしたところに、村の鎮守としての名残が表れているような感じがしました。
大堂を回った後は、松月院の見どころを振り返りながら、バスでゆっくり帰りました。

 

By あおきリサ 掲載2016/3