1. 道を間違えた
東京メトロ後楽園駅の地上改札を出て、東京ドームや小石川後楽園に沿ってしばらく道を歩くと、牛天神下の交差点に出ました。
「牛天神はもうすぐだ。交差点の名前になっているくらいだから、それなりに知られた神社なのだろう」
そんな期待をもって、この交差点を右方向に進んだのはよいのですが、牛天神がなかなか見つかりません。さらに歩いていくと、教育センター前の交差点に着きました。
「どうやら道を間違えたようだ」
そう思ってスマホを取りだし、グーグルマップで調べてみると、やはりそうでした。道を間違えていたのです。
とはいっても、大きく間違えたというわけではありません。教育センター前の交差点から安藤坂と呼ばれる坂を少し上り、一方通行の細い道を入ると「牛天神」と書かれた提灯が見えました。その横には「北野神社」と刻まれた石柱があります。
2.牛天神の入り口
「牛天神」と書かれた提灯をくぐり、石段を上った上に神社があります。石段の両脇には「牛天神 北野神社」と書かれた幟が何本も立っていて、昔からある神社らしい雰囲気を醸し出していました。
石段の上には石造りの鳥居があり、そこから先が神社の境内です。牛天神の公式サイトによると、午前8時ごろに鳥居の中央に朝日が差し込み、その姿は神秘的で美しいそうです。その様子を想像してみると、日の出の時刻に見るご来光とはまた違った趣があるのではないかと思います。
でも私が行ったのは午前10時ごろで、太陽がかなり高くなっていました。
3. 太田神社・高木神社
鳥居をくぐると、面白いものが正面に見えました。掲示板のような板に牛の形をくりぬき、くりぬいた箇所に細い横木が何本も渡してあり、横木におみくじが結ばれているのです。牛天神ならではのユニークさが感じられます。
次に境内末社の太田神社と高木神社にお参りしました。小ぢんまりとしていて、手入れが行き届いた感じがありました。芸能上達や開運招福の御利益があるそうです。
末社の入り口には石柱がありました。そこには「道祖神」と書かれていて、その下には三猿があしらわれています。いかにも道の神・猿田彦命を御祭神としている神社の入り口らしいと思いました。
末社の横には、またまたユニークな形をしたものがありました。板にハートの形をくりぬき、くりぬいた箇所に細い柱を何本も立てて、その柱におみくじを結ぶようになっています。こちらは「縁のむすび」と呼ばれているそうです。
4.願い牛
次に願い牛と本殿に行きました。牛天神では願い牛と本殿が垣根で囲われた中にあり、その外に御神木や末社、中島歌子歌碑などがあります。
願い牛は、垣根を入ってすぐ左側にありました。大きく黒っぽい石を牛に見立てているような感じです。石をなでると願いがかなうといわれているので、私は健康を願いました。2か月ほど前から複数の医療機関に通院しているからです。通院には何かと手間暇がかかるので、早く良くなって、わずらわしいことから解放されたいと思っています。
そしてようやく本殿に着きました。「順番が逆だったかな」と思いながらも賽銭をあげて、二礼二拍一礼の作法を守って拝みました。
5.御神木と中島歌子歌碑
願い牛と本殿を拝んだ後に垣根を出ると、正面に御神木が見えました。御神木はモッコクで、神社の公式サイトによれば樹齢100年を超えているそうです。他の神社の御神木―イチョウ、ムクノキ、タブノキなど―に比べると、幹が細く小ぶりな感じでした。とはいえ御神木の周囲は小さいながらも垣根で囲ってあり、幹には紙垂を下げた注連縄が巻かれています。やはり御神木は御神木で、その地位や品位はゆるぎないものなのです。
最後に中島歌子歌碑を見てみました。碑には崩した字が彫られていたので、一見しただけでは何が書いてあるのかがわかりません。すぐそばの解説を読んでやっとわかりました。解説から、中島歌子が多くの門下生に慕われていた様子がうかがえます。
この後は境内を出て安藤坂を上り、慈眼院(澤蔵司稲荷)へ向かうことにしました。