1.橙色の幟
2015年7月某日、私は小石川にある伝通院にお参りすることにしました。前月から都営三田線の沿線に行くことが多くなり、そのついでに沿線の神社仏閣にお参りしようと思っているからです。これまで白山神社と源覚寺(こんにゃくえんま)に行ってきました。
都営三田線春日駅のA5出口を出て、目の前の信号を左に曲がり、突き当たりの「こんにゃくえんま前」の信号を右に曲がりました。以前源覚寺にお参りした時は通りの両側に七夕飾りが並んでいましたが、今回は「文京朝顔ほおずき市」と書かれた橙色の幟が沿道を彩っています。幟をよく見ると古い地図が描かれていて「なかなか凝ったデザインだなあ」と感心しました。
次の信号を左に曲がると、坂道に差し掛かりました。目的地の伝通院まではまだまだです。
2. 善光寺と慈眼院
坂道を少し上ると、伝通院の案内表示が見えました。そこから更に歩くと、古いお寺がありました。暑い中で歩くのに少しうんざりしていた私は「やっと伝通院に着く」と思いましたが、期待は見事に裏切られてしまったのです。
このお寺は善光寺で、伝通院ではありません。お寺の前には「善光寺坂」と呼ばれる坂の解説がありました。解説によると、このお寺はもともと縁受院といって伝通院の塔頭(たっちゅう)でしたが、明治時代に信州の善光寺の別院になったそうです。
善光寺の隣には、慈眼院というお寺がありました。善光寺坂の解説によれば、慈眼院の境内には松尾芭蕉の句碑があるそうです。
善光寺も慈眼院も小ぢんまりとしていながら趣があるので、時間が取れたら改めて立ち寄ってみたいと思いました。
3. ようやく到着
慈眼院を過ぎて、更に少し歩いて淑徳学園SCの前を過ぎると、ようやく伝通院に着きました。春日駅から歩いた距離はそれほどないかもしれませんが、暑かったこともあり、やっとたどり着いたような感じです。正門では葵の御紋が描かれた提灯と、同じく葵の御紋が描かれた大きな暖簾がとにかく目立ち、参拝客を出迎えているように見えました。
門を入るとすぐ左手に、法蔵地蔵尊が見えました。木陰で左右に観世音菩薩と勢至菩薩を従えている地蔵像を見ると、暑さが多少和らぐような気がして、何となくほっとします。
その後本堂へお参りし、徳川家の墓所と著名人の墓地を散策しました。
初めて訪れた伝通院の境内は、浄土宗の寺院らしく、上品な雰囲気が漂っています。
4. 徳川家の墓所
広い墓地に入るとまず、徳川家康の生母・於大の方の墓所へ行きました。他のお墓に比べるとひときわ大きく、周りに囲いがあって、中央の供養塔がやたら目立ちます。於大の方は伝通院の開基であり、その絶大な存在感をいやというほど見せつけられたような気がしました。
於大の方の墓所から少し離れたところに、徳川家の墓所があります。ここには二代将軍秀忠の娘・千姫や三代将軍家光の正室・孝子の方など、徳川家の縁者が葬られています。大きな供養塔が何基も並んでいる様子は、於大の方の墓所と同じくらい強烈なインパクトがあり、徳川家の権威やステイタスを感じさせるものでした。遠目からでも徳川家の墓所だとすぐにわかり、近くに行けば背筋が引き締まるような厳粛さが感じられます。その一方、供養塔が古びて黒ずんでいたので、そこから背筋が凍るような不気味さや異様さ、恐ろしさも感じられました。
5. 著名人の墓所
別の一角には、独特な形をした墓石が並んでいました。伝通院の歴代上人の墓所です。一般人のお墓とは違った厳粛な雰囲気に包まれていましたが、徳川家の墓所のような不気味さは感じられませんでした。
明治時代以降の著名人の墓所は、一般人のお墓とそれほど変わらないような感じでした。解説が添えられているおかげで、ようやくそれだとわかるくらいです。とはいえ中には、橋本明治の墓のように、墓石のデザインに趣向を凝らしているものもあります。
さて伝通院の墓地は徳川家の墓所があることで知られていますが、全体としては古いお墓と新しいお墓、著名人のお墓と一般人のお墓が混在しています。古くからある商店と近代的なマンションが混在する小石川の町並みが、墓地の混在ぶりにそのまま投影されているような印象を受けました。