塚越稲荷神社(塚越神社、塚越稲荷社)の存在は、ずっと前から知っていました。しかしながら駅から近いとはいえず、周辺の道路は一方通行が多くてややこしく、おまけに駐車場もわからなかったためになかなか足を運べずにいました。そして2017年の7月になって、ようやく行こうと決めたのです。
実際に行ってみると、境内社の機(はた)神社や天満宮、足立坂東観音霊場第33番札所である定正寺(じょうしょうじ)観音堂、猿田彦大神碑、地蔵石仏、力石など、見どころが思いのほかたくさんありました。高台にある社殿が、たくさんの建物や石造物を見下ろすようにしてうまくまとめている感じです。
今回の大きな発見は、定正寺と機神社です。定正寺はかつて塚越稲荷神社の別当を務めていて、明治時代の神仏分離で廃寺になり、観音堂だけが現在も残っていることが、実際に行ってみて初めてわかりました。それまでは定正寺と塚越稲荷神社の関係がいまひとつよくわからなかったのです。なお足立坂東観音霊場の創設者・高橋休山の墓は観音堂の脇にあります。
また機神社の解説を読んで、毎年8月に開催される「わらび機まつり」の由来が初めてわかりました。江戸時代後期に蕨の織物産業の発展に尽力した、高橋新五郎の創業の日を記念した行事だそうです。現代の機まつりは旧暦の七夕のような感じですが、その背景にはこんなことがあったのか、と勉強させていただいたように思います。
蕨の歴史といえば中山道の宿場のイメージが強いですが、塚越稲荷神社で宿場以外の歴史を初めて知ることができました。