重要文化財の大日堂でお参り! Takomin 参拝記 2/5
大日堂が建てられたのは、文明十年(1478年)から十七年(1485年)という事ですが、実際には30年ほどかかって建築されたと言われています。ちょうど時代は室町時代、応仁の乱の影響もあって、これほど時間がかかったのだといわれています。戦禍が絶えなかった時代、このような仏につながる建物を建てるという事で、当時の人々の心が癒される事もあったのでしょう。
また、室町時代の小さな仏堂というのはあまり残っておらず、そういう意味でも貴重な建物で、このお堂は国の重要文化財の指定を受けています。ご本尊は大日如来坐像ですが、鎌倉時代に作られたものであり、こちらも重要文化財であります。シンプルなお堂を外から見ていると、とても気持ちが落ち着いてきます。昔の人が良いと思ったものは、現代の21世紀でもやっぱり良いのですね。
もともとこのお堂は、佛起山普賢寺(ぶっきさんふげんじ)と呼ばれていましたが、明治に入って廃仏毀釈のために普賢寺は廃絶する事となり、正蓮寺が管理を引き継ぐようになったそうです。明治の時代の廃仏毀釈が、この小さなお堂にも影響しているのだと思うと、しみじみと感じ入ってしまいます。応仁の乱と明治維新といった日本人なら誰でも知っている歴史に、こんな小さなお堂も関わっているのですね!
ふと、お堂の右側にある説明の看板を見てみると、このお堂は余計な飾りを省いて、さらに中の間取りも実用的に作られているという事です。残念ながら中は見れませんでしたが、「実用的な間取り」というのを考えるだけで、中を見てみたくて仕方がありませんでした。
(写真は大日堂)
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