氷室神社

氷室神社

〜氷と南部方の楽人に縁の神社〜


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氷室神社記事一覧

氷室神社は奈良市の東大寺に近いところにある神社です。近鉄奈良駅やJR奈良駅からも歩いて行く事が出来ます。近鉄奈良駅からは歩いて10分ほ度の距離です。近鉄線で、京都駅からも大阪駅からもどちらも直通で来る事ができますし、有料特急も通っています。JR奈良駅からは歩いて25分ほどの距離です。やはり京都方面や大阪方面、さらに奈良県の南部の方からも電車が通っていますので、便が非常にいいといえるでしょう。どちら...

今回は近鉄線を利用して、近鉄奈良駅までやってきました。改札を上がって東の方面に進みます。駅を出た所の道が国道369号線ですが、その道を進むと進行方向に氷室神社が見えてきました。氷室神社の歴史は古く、和同3年(709年)の7月22日、元明天皇の勅命によって、当時建設された平城京新都の左京に位置する、春日の御藍の御料山(現在の春日山)に鎮祀されたといわれています。そしてこの氷室神社では、盛んに水をため...

氷室神社へ到着し、表門をくぐって境内に進みます。この大手門とそれに続く東西廊は、奈良県の指定文化財となっているのです。現在のこの門は、四脚門(しきゃくもん)と言われていて、切妻造りの本瓦葺となっています。それに翼廊が接続したもので、禁裏御所の遺構であるそうです。というのは、応永9年(1402年)禁裏造営の際、旧御所の日華門(にっかもん)と御奥宿(みこしやどり)氷室神社へ寄付されたそうです。さらに寛...

境内を進んで、氷室神社の拝殿でもある舞殿で参拝をします。この舞殿は一棟造りになっていて、桁行二間・梁間一間であり、江戸時代の建築となっています。そして奈良県の文化財の指定を受けています。氷室神社は江戸時代に朝廷や幕府の行事に参勤した、三方楽所の一つである、南部方の楽人が拠点とした神社でもあります。そのため、神主も楽人が勤めていたとの事です。この神社では、楽人による舞楽奉納を中心とする祭りが行われて...

舞殿でお参りして、その後ろに鎮座する本殿の方に回ろうとすると、すぐ右側に大きな人の太ももの位置まである砲弾に気が付きました。この砲弾は、戦艦「鎮遠」の主砲である30.5サンチの砲弾だそうです。この砲弾が搭載されていた戦艦は、ドイツのフルカン造船所に発注されて建造された、清国の海軍戦艦「鎮遠」であり、当時東洋一の堅艦とも言われたそうで、日清戦争においては抵抗海軍にとって大きな脅威でありました。その主...

舞殿の真後ろに位置する所に、氷室神社の本殿があります。こちらも奈良県の指定文化財となっていて、文久3年(1863年)の造替となっています。三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)であり、檜皮葺(ひかわぶき)で、本殿床下に左右の二室を造り、側面に両開板戸があります。左側の出入り口には庇を設けてあり、その屋根も檜皮葺となっています。これは非常に珍しい造りとなっていて、このような社殿形式は他に類例がなく...

本殿から再び氷室神社の境内の祖とに向かって進もうとすると、境内を鹿が散歩(?)しているのが目に入りました。散歩をしているみたいに見えますが、何となく舞殿の前で頭を下げているように見えます。奈良の鹿は、奈良公園などを中心に約1200頭ほどいるそうで、国の天然記念物に指定されている野生動物だといわれています。因みに所有者は「いない」そうです。まあ、野生動物ですものね。奈良の鹿は、春日大社の神使である事...