東覚寺の参拝記
東覚寺の移転
谷中七福神巡りをすることになり、福禄寿の東覚寺にも参拝させてもらった。2019/1/5のことだ。
JRの田端駅北口から歩いて向かった。徒歩5,6分くらいだった。
谷中というくらいだから、台東区のイメージが強かったのだが、ここ東覚寺は、現在、東京都北区田端2丁目にある。
創建の時は、神田にあったとのことで、根岸をへの移転を経て、今の場所は1600年ごろだと言われている。けっこう移転が多い感じだ。あとで書くが、他にも仁王像の移転の話がある
東覚寺の赤紙仁王
いつものことなのだが、事前知識、予備知識なしの参拝だ。東覚寺の赤紙仁王が有名だということも知らずに行くことになった。
山門の前には体中に赤紙が貼られた金剛力士像がある。仁王、金剛力士像といえば、仁王門の中にいることが多いだろう。それが、仁王門ではなく、山門の前の露天というだけでも珍しいと思う。
山門の前という表現は、現地 東覚寺にあった説明板からとったのだが、実際は、山門の両側というより、不動堂の前に安置されている。
これも移転が多い。江戸時代までは隣接する田端八幡神社の前、明治時代に神仏分離令がで東覚寺の前にあった九品仏堂の前に移転、そして最後2008年には、道路拡張ということで、現在の場所に移転しているのだという。最初にも書いたが東覚寺は移転が多い印象だ。
実際に参拝に行った時、福禄寿より先に、不動堂が目につき、その前に赤い塊があった。とても仁王像には見えない。ただの赤い塊だ。賓頭盧尊者に似た話しだが、病に相応する箇所に赤紙を仁王像に貼ると治癒されると言われているからだろう。しかし・・・。この状態ではどこが頭か胸か手足かまったくわからない。
病が治癒すると、草履を供える習慣があるようなのだが、草履はわからなかった。どこかにあるんだろうが、何しろ、人がすごかったのだ。
東覚寺 福禄寿
福禄寿の参拝の列の他に御朱印の列がある。管理人は坂東三十三所観音巡礼やら秩父三十四観音巡礼などをやっている。七福神では、雑司ヶ谷七福神、善光寺七福神なども行った。今回の御朱印をどうしようかと思っていたのだが、何やら珍しく家内がやりたいという。和紙の専用台紙 1000円 + 東覚寺福禄寿の御朱印が事前に押してある状態で、1200円で購入した。ただ購入するだけなのだが、それでも行列がすごい。
参拝や移動の時間より、とにかく順番待ちに時間がかかる。それが東覚寺に限らず、正月期間の谷中七福神の定めだろう。これはもうどうしょうもない。空いている時期に行こうと思っても、時期を外すと、御開帳もしてなかったり、御朱印も押してもらえないのだ。
東覚寺の庭園
福禄寿の参拝を済ませるとお堂の裏手の庭園へ矢印が導いてくれる。
まあこういうものは好みだと思うが、管理人は、この庭園の様は好きにはなれなかった。ひとつは人混みが原因だ。加えて、おそらくそもそもの元はもう少しスッキリとしていたのだろうが、後からいろいろなモノが追加されているように見受けられる。それが人混みと相まってどうにも居心地の悪い空間になってしまっている。タイミングが異なれば、もうう少し違う印象も受けたのかもしれない。
庭園を出て、振る舞いの甘酒を半分だけいれてもらった。たくさんは飲めない。次の、青雲寺(恵比須)に向かって、人の流れに乗って歩き出した。
東覚寺の基本情報
住所
東京都北区田端2-7-3
山号
白龍山(はくりゅうざん)
寺号
東覚寺(とうがくじ)
宗派
真言宗豊山派
本尊
不動明王
創建
延徳3年(1491年)
開山
源雅
正式名
白龍山寿命院東覚寺
別称
赤紙仁王
札所
御府内八十八ヶ所霊場 66番
豊島八十八ヶ所霊場 66番
上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場 29番
谷中七福神(福禄寿)
文化財
赤紙仁王像(北区文化財)