久米寺の由来は?
橿原線の東側。イメージとしては畝傍山の側、位置としては橿原神宮のちょうど南側に久米寺はあります。 他にも有名な社寺や古墳、遺跡など明日香の地を回るなら選択肢はたくさんあったと思うのですが、橘寺を訪れた後地図を見て気になったのがこのお寺でした。今思えば「くめでら」と言う名前から、聖徳太子の弟君の来目皇子を連想していたのかなと思います。こう言う時の勘は信じることにしているので、いざそちらへ向かってみると、久米仙人の伝説の他に、由来として、来目皇子が目の病気の平癒を願い薬師如来をご本尊としたお寺でした。偶然は偶然を呼ぶもので、眼に若干問題を抱えている身としては「呼ばれたな」と、感ぜずにはおれませんでした。
久米寺の薬師如来像
本堂に入ると、受付の僧侶の方が丁寧に中の仏像の説明をしてくれました。飛鳥時代と言えば仏教がちょうど日本に普及し始めた頃、その頃に由来するお寺と共なれば、日本に根付く前の少し変わったものを発見できます。薬師如来と言えば、病気を治すためのお薬を入れた壺や瓶を片手に持っているのが、ステレオタイプですが、こちらの薬師如来像は、薬の類は特に持ってはいません。お話によれば、薬を持った像は後世に広まったもので、こちらにあるのは薬師如来信仰がまだ始まったばかりの頃に作られたものだからだそうです。帰宅後調べると、薬を持っていない古い時代の薬師如来像にいくつか行き当たりました。そもそもこちらのお寺の建立の理由が来目の王子の目の病気平癒のため。そこに込められた祈りそのものが何よりもの薬なのかもしれません。
本堂の天井
久米寺の本堂の天井には、格子の中に、大きな梵字がひとつひとつ書かれていました。もちろん意味は分かりませんが、それぞれの仏様に一つずつ梵字が当てられている事や、そもそもこれらが日本に来るまでに漢字に翻訳され日本に入って来たと言う事を考えると、天井にたくさんの神様がいるようにも、天井に経典が広げられているようにも思え、梵字のやや装飾的・絵画的な雰囲気に、ともすると、イスラムの寺院でよく見かけるアラベスク模様に混じった文字での装飾を思い出しました。けれど、久米寺の本堂の風景は、偶像崇拝の否定ではなく、むしろ、御本尊やそれを取り囲むたくさんの像への祈りという意味での宗教と、天井に描かれた観念/考え方としての宗教が、融和しているように見えました。
真言宗発祥の地
久米寺は真言宗発祥の地とも言われています。現在、境内には京都の仁和寺から移築された朱色の鮮やかな多宝塔があります。その前に建っていたであろう場所には、石の礎が残っていて、礎にしてはやや不揃いに見えるそれは、明日香の謎の巨石のひとつと言われれば、近くに益田岩船など他の石もあるので納得したかもしれません。もしくは、密教を持ち帰った空海がそれを研究した場所だったそうですが、その研究室は今のような塔の形をしていなかったのかもしれません。後に本拠地になる高野山への途中地点であり、日本で仏教が根差し始めた地かつ仏教以前の神話も共存しているこの地は、自分が持ち帰った教えがどんなものなのか、改めて振り返り、考えに耽るには、ちょうどよい土地だったのではないでしょうか。
Satoko Apr 2017 - May 2017