善光寺の参拝記
善光寺へ
善光寺へは北向観音とセットで一泊二日の旅程を組んで参拝しました。2018/12/16です。
日帰りでの参拝も可能だとは思いましたが、善光寺ののある長野市も、北向観音のある上田市、別所温泉も行ったことのないエリアですから、この際、他の見どころも見ておきたいと一泊二日としました。加えて運転に気を取られず周りを見たかったので、電車+バスで行くことにしました。
初日は新幹線。長野には9:30に到着。ギリギリの時間まで善光寺参拝+長野市の観光してから、電車で上田、別所温泉と移動し宿泊。翌日の朝、北向観音に参拝、再び上田電鉄で上田に戻り、上田城などを見て帰るという行程としました。
そもそも善光寺やら北向観音へ行こう・・・などと思ったのは、坂東三十三所観音霊場を結願できたからです。秩父三十四観音巡礼もその前にまわっておりましたので、本当は一〇〇観音の後に行くほうがよかったんでしょうが、西国はいつになるかわかりませんし、坂東三十三所観音霊場の結願のこの機会に行っておくことにしました。
善光寺と長野市のガイドさん
新幹線で長野へ。改札を出て、長野市の観光案内所に向かいました。とりあえず地図や善光寺への途中に何かないか知識を得ようとしたのです。行ってみると、ガイドさんが1コース1人500円。2コースお願いすると、管理人の予定としてはちょうどいい感じです。観光協会がやっているガイドは、広島 厳島神社でも、港にいらっしゃたガイドさんをお願いして、自分で歩くだけではわからない、気づかないことをけっこう詳しく教えてもらったことがあり、いい印象をもってます。さっそく案内をお願いしました。
12月という寒い季節ですから観光客も少なめです。管理人ひとりのために案内をしてもらいました。
教えていただいた事柄のひとつに、「長野市は、善光寺を中心に出来上がっているんですよ」というのがありました。「善光寺しかないんです」とまで言い出されてました。あとは長野オリンピックのおかげでずいぶんインフラが整備されたようです。
明治維新の後、廃藩置県で県を置くことになったのは歴史授業で教わりました。廃藩置県は順次行われたようで、長野市のエリアは後から中野県に加わったのに中野県は長野県になり、さらに県庁所在地をここ長野市に決定(移動)したのは、善光寺があったからというのが大きな理由だったそうです。西国33箇所、坂東33箇所などのお礼参りのお寺だったりもしますから、、あちこちから参拝のための道があったでしょうし、牛に曳かれてですから、ケモノ道とかではなく牛車が通れるくらいは整備された道であったのでしょう。人がきますから、食事や宿、門前町もそこそこ栄えていたんでしょう。県庁も最初(仮庁舎)は善光寺関連のお寺西方寺の建物を使ったそうです。
後に信越本線が通る時、長野駅の場所も善光寺の参道を考慮して決めたといいます。今でも長野駅の構内から参道が始まっています。改札を出て左手すぐにに「18丁」と彫られた碑がります。この数字は善光寺に向かって参道を進むと減っていくのですが、これ、普通は気が付かないとおもいます。善光寺は改札を出ると右なんですよね。善光寺目当てで長野駅の改札をでると、目線が左に行かないので見落とすことになります。管理人も見落としていました。ガイドさんを頼んだからこそ知ったことですね。その後の町を歩きながらでも、ガイドさんの話でいろいろ教えてもらいました、
駅前の広場のインドの女性像(如是姫)は、善光寺のほうを向いている、とか。参道の両側の灯籠(春日燈籠)は近年再興されたもので寄贈されたとか、文字は奇数と偶数番で異なるのだとか。
ガイドさんとともに、善光寺7橋、有形文化財の中澤時計店、西方寺、武井神社、善光寺大本願に加え、善光寺七福神も立ち寄りながら、善光寺参道(中央通り)を進み、寛慶寺、山門に至りました。
善光寺の仁王門
善光寺の山門の手前、善光寺七福神の毘沙門天や寛慶寺の前(南側、駅側)に、善光寺の仁王門があります。
善光寺の仁王門は、いわゆる仁王像だけではありませんでした。よそで見かけたことがあるのは、表側が仁王像で、裏(本堂に近い側)は、風神雷神という形式でしたが、善光寺の仁王門は異なりました。三宝荒神像と三面大黒天像です。
三宝荒神(さんぼうこうじん、さんぽうこうじん)の三宝は仏法僧。三宝荒神は三宝を守護するといいます。
三面大黒天は、後に調べてみると秀吉が念持仏としていたなど、それなりに有名な存在でした。管理人は不勉強で知りませんでしたが。仁王像も立派でしたが、三宝荒神像と三面大黒天像も力ある像でした。
仁王門は大正の再建とのことですが、かなりの存在感、重厚感があります。安っぽい感じはありません。掲げられた額は、「定額山」(じょうがくさん)。今言われている善光寺の山号です。山号が掲げられているのは普通では当たり前で、特筆するようなことではないのですが、善光寺の場合はちょっと話が違います。
善光寺には「四門四額」(しもんしがく)として、東門を「定額山善光寺」、南門を「南命山無量寿寺」(なんみょうさんむりょうじゅじ)、北門を「北空山雲上寺」(ほくくうさんうんじょうじ)、西門を「不捨山浄土寺」(ふしゃさんじょうどじ)というのだ・・・と伝わっているそうです。つまり勅命で(天皇から)、4つのお寺の名前をもらっていた・・・という説です。もうこの時点でどう見ても特別扱い、例外ですよね。そして仁王門は南側なので、この伝承を優先すると南明山になるのが自然な感じなのでですが、火事があって再建した時、南を正面にして、そこを「定額山善光寺」にした・・・ということらしい・・・です。
いずれしろ、現在の善光寺の仁王門には、「定額山」が掲げられています。
善光寺の仲見世通りと駒帰り橋
仁王門をすぎると仲見世通りになります。まあよくある仲見世通りです。すいません、管理人は少しこのあたり(観光客目当ての商店街等に対して)は、かなり冷淡です。浅草寺の仲見世通りなども通るだけ・・・つまり通路です。商品はみません。歴史あるお店には敬意を払いますが、なんというか観光客に迎合しすぎているとただただ興ざめです。しかも近年は外国人が増えていて、日本に来てくれること自体はいいのですが、受け入れ側のいろいろなお店が外国人がイメージしている「和」「日本」を前面に出してきていますので、気恥ずかしくてみていられない店舗、商品が多いのです。わざわざ日本まで来てくれた彼ら彼女らに、「それは本当の日本の文化ではありません、まがい物です」と、楽しんでいる彼ら彼女らに言うわけにもいかんでしょう。余計なお世話です。まあ勿論、日本人でも薄っぺらな何がしを好きな人もきっといるでしょうが、管理人は嫌いです。ちゃんとしているお店もあるのでしょうが、全体に拒否反応があって、これ以上は、仲見世通りのお店については触れません。
仲見世通りを抜けたところが駒帰り橋。「下馬」という看板より頼朝の故事として駒帰りとするほうが良いですよね。
善光寺 山門 三門
善光寺に限らず、三門なのか山門なのか。どちらにもそれなりの意味があるそうです。
平地にあるお寺でも山門なのは、寺には、「山号」があるからといわれます。
さらに三門のほうは、三解脱門を表すとか、南面する正門、東西2つの副門を意味していたのが左右に脇門が付属する大門になったんだ、とか、貪・瞋・痴の三煩を解脱する境界の門とか、声聞・縁覚・菩薩の三乗が通る門とか。
善光寺の山門には、鳩字の善光寺の額が掲げられています。さらっと鳩字なんて書いてしまいましたが、IMEでは「はとじ」では普通に変換できません。一般的な単語ではないでしょうし、今回善光寺、長野を訪れるまで全く知りませんでした。「善光寺」という3文字の中に、鳩が三羽いるとされています。JR長野駅にもレプリカがありますが、本物でも、よほど視力が低くなければ判別できるでしょう。そのうちの一羽は、左=西を向いていて、まさに西方浄土の向かって飛び立とうとしている・・・のだそうです。ガイドさんがJR長野駅のレプリカの前で教えてくれました、
善光寺の山門は、別に志納がいりますが、登ることができます。高さ20メートル。文殊菩薩と四天王が祀られています。仏間の天女と障壁画は平成19年に修理を終えたそうで、鮮やかでした。文殊菩薩と四天王も力あるいい仏像だと思います。
そして眺望。本堂側も、参道側も楽しめます。参道はあぁ、こう歩いて来たんだなぁと振り返ることもできますし、本堂や塔の位置関係も改めて確認できます。本堂の参拝が先か、あるいは山門に先にあがるか。管理人の場合は、一番最後に登りましたので、歩いてきた境内を振り返ることができました。意見はいろいろでしょうが、あとの方で良かったと思ってます。
本堂と内陣
本堂や戒壇巡りについては、あまりにも有名で、いろんな人が体験を書いていますので、今更追加で書くようなことはなさそうです。
善光寺資料館 日本忠霊殿
資料館というと、文献というイメージの名称ですが、それだけではありませんでした。善光寺に伝わる仏像が展示されていて、それがけっこういいものが並んでいました。侮れません。さらに絵馬も善光寺に寄せられた想いが偲ばれました。まあ量が多くて、とても展示されたすべての絵馬は見てられませんでしたが。
管理人的には、本堂よりも興味深く拝見させてもらいました。
善光寺の基本情報
所在地
〒380-0851 長野県長野市元善町491 イ
開門時間
6時00分〜16時00分
山号
定額山
宗派
無宗派 (大勧進:天台宗、大本願:浄土宗)
本尊
一光三尊阿弥陀如来(絶対秘仏)
創建年
伝皇極天皇3年(644年)
開基
伝皇極天皇(勅願)
別称
信州善光寺、信濃善光寺
札所等
西国三十三所 (番外札所)
坂東三十三箇所 (番外札所)
秩父三十四箇所(番外札所)
文化財
本堂(国宝)
三門、銅造阿弥陀如来 両脇侍立像(重要文化財)
その他
http://www.zenkoji.jp/
善光寺対の寺 北向山 北向観音 天台宗 長野県上田市別所温泉
善光寺記事一覧
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