76番札所 金倉寺
四国霊場で4つの天台宗、弘法大師の甥にあたる智証大師(円珍)がここで生まれたとされる。唐で学んだ智証大師は「唐の青龍寺」にならい伽藍を整え、ここを金倉寺とした。明治時代の日新日露戦争で活躍された乃木希典将軍は第11師団長として善通寺に着任した際、ここに住んでいたとされる。しかしこの寺は「女人禁制」のため、東京から訪ねてきた妻さえとも会わなかったとされる逸話は、「妻返しの松」として有名で、この松の木の下で妻は途方に暮れていたとされる。その松が今もなおそこに残っておりました。非常に切なく感じてしまいました。