天王寺

天王寺の参拝記

 

谷中七福神巡りをした2019/1/5に参拝しました。一つ前の修性院(布袋)から、谷中霊園の中を抜けて来ました。後で知ったのですが、谷中霊園の敷地はかつては天王寺の寺域とのことです。明治になって東京市に寄贈したのもでした。後で書きますが五重塔と同じように寄贈したんですね。
天王寺の山門についた時の印象は、なんとも現代的な山門と思いました。とはいえけして悪趣味だったり奇抜だったりするわけではなく、品のいいほうの美術館のような佇まいです。(つまりこれは、品のわるい美術館があるとも言っているんですけどね)

 

今の天王寺は天台宗ですが、創建当時は日蓮宗の不受不施派だったといいます。管理人は原則的に特定の宗教や宗派を排斥したり攻撃するような言動は避けようと思っていますが、この日蓮宗の不受不施派は数少ない例外です。非難、攻撃まではしませんが、好きではないと明言して憚りません。まあ、もし今も天王寺が日蓮宗の不受不施派なら、谷中七福神の一つになっていることもないでしょうから、境内に足を運ぶこともなかったでしょうが。
不受不施派を一言で言えば法華経を信仰していない人から施し(布施)を受けるjこともないし、逆に法施などをすることもないという、信じるものだけのクローズされた世界で生きていこうとする宗派です。かなり過激とも教条主義的とも言えるでしょう。非難、攻撃まではしませんが、管理人は友達には持ちたくないタイプです。
権力者に対しても、法華経を信仰していないと関わりを持とうとしないわけでですから言うことも聞きません。そりゃあもう、弾圧を受けることになりますわねぇ。江戸期の弾圧で、強制的に改宗。この時毘沙門天像が本尊となりました。これがないと谷中七福神の毘沙門天になってないわけです。今では阿弥陀如来が本尊になっていますが、このへんの経緯はよくわかりません。

 

参拝して、毘沙門天を拝しました。平安、藤原期の毘沙門天像であると説明にはありました。毘沙門天あるいは多聞天は、宝塔を右手に掲げている姿を拝することが多かったのですが、天王寺の毘沙門天像も、肩のあたりまで宝塔を掲げていました。

 

その日は、お堂の前に列ができていて、順番にお堂の外から参拝し、少しだけ開いた隙間から拝することができるだけ・・・とおもっていたのですが、お堂の左手裏に入り口があり、靴を脱いであがれば近くで拝することができました。

 

例のごとく予備知識なしでの参拝でしたが、「江戸の三富」として、、目黒不動、湯島天神と共に富くじを扱っていたお寺だったそうです。

 

かつては五重塔があった天王寺ですが、残念ながら火事で失っています。火事で塔を亡くした寺院はたくさんありますが、原因は戦争であったり、落雷であったりが多いと思います。
天王寺の五重塔の場合は、東京市に塔を寄贈(1908年(明治41年))し、谷中五重塔となり、、1957年(昭和32年)7月6日早朝の谷中五重塔放火心中事件で燃えました。
気になって調べてみましたが、放火による寺社の建造物の喪失は、他に金閣寺、京都寺社等同時放火事件、北海道神宮放火事件など統合失語症やテロリストなどの事件がありましたが、心中は、天王寺の谷中五重塔放火心中事件だけかもしれません。

 

言っても詮無いことですが、もし今、五重塔が残っていたら、谷中の景色に、一層の風情を添えてくれたかもしれません。

 

さて、次は、長安寺(寿老人)ですが、今回の管理人は、直行せず、お昼ご飯にしました。混雑が予想されましたので、開店と同時に入りましたが、大正解でした。

 

 

 

護国山尊重院天王寺の基本情報

正式名

護国山尊重院天王寺

住所

東京都台東区谷中7-14-8

山号

護国山

宗派

天台宗

寺格

特別寺

本尊

阿弥陀如来

創建年

1274年(文永11年)

開山

日源

開基

関小次郎長耀

札所等

谷中七福神 毘沙門天