金峯神社

金峯神社

住所

奈良県吉野郡吉野町吉野山1651

主祭神

金山毘古命

社格等

式内社(名神大)・郷社

本殿様式

流造

例祭

10月第3日曜日

文化財

大和国金峯山経塚出土品
鍍銀経箱
金銅経箱台残闕
紺紙金字法華経 巻一、四、五、六、七残闕
紺紙金字無量義経残闕
紺紙金字弥勒上生経残闕
紺紙金字弥勒下生経残闕
紺紙金字法華経 巻三、四、六、七残闕
紺紙金字無量義経
鉄鐔 卒塔婆透し


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金峯神社記事一覧

金峯神社は吉野の山の一番奥にある、桜の名所の奥千本と呼ばれるエリアにある神社です。この金峯神社への行く場合は、電車で行く場合は近鉄吉野線の終点駅の吉野駅が最寄駅です。吉野駅までは、京都と大阪のそれぞれから有料特急が直通で出ていますから、これに乗車すると便利です。京都から約2時間、大阪の阿部野橋からも1時間半程度でくる事ができます。有料特急以外で来る場合は、京都と大阪の阿部野橋から急行に乗り、橿原神...

吉野の山を巡回しているバスに乗って、金峯神社の鳥居の目の前までやってきました。鳥居をくぐってゆっくりと上がっていきます。まだ午前の早い時間なので神社の後ろ側から日が差して、なんだか神々しい感じがします。この金峯神社の社名となっている「金峯」というのは、この吉野から天川にかけての峯々の総称であり、地下に黄金の鉱脈があるという伝説があります。「宇治拾遺物物語」にはこの山に登って黄金を得たという話が出て...

金峯神社の創祀年代は不詳と言われていますが、現在ある拝殿は延喜式内社で桁行三間梁間二間となっています。以前の拝殿が暴風雨のために倒れてしまったため、吉野神宮の旧拝殿を移築してきたものだそうです。余震神宮は吉野の山の麓に近いところにありますが、あんな下の方からこの高台まで運んできたとは!さぞかし骨が折れた事でしょう。そして御祭神は金山毘古命(かなやまひこのみこと)であり、この吉野の地主神でもあります...

この神社の御祭神である金山毘古命は、実は害虫排除にも御利益があるといわれています。この神様は生物の枯死を防ぐ神様でもあり、その事から害虫が木々をはじめとして害を与えるのを防いでくれるという事です。実は天皇がこの神社に害虫排除の祭事を行った事もあるそうですが、貞観元年の8月3日と貞観5年の2月1日、清和天皇は勅使や陰陽師を通じて害虫排除の祭事を行わせたという事です。昔の害虫っていったい何でしょう。蜂...

この金峯神社の近くには、義経の隠れ塔と呼ばれるものがあります。文治元年(1185年)の11月、追われる立場となった義経が弁慶らとともにこの吉野に逃げてきて、身を隠したといわれる塔です。宝形造りで檜皮葺と言われています。この塔に隠れた義経は、周囲を囲まれてしまった時に、なんと屋根をけ破って逃げたといわれ、そのために「蹴抜けの塔(けぬけのとう)」とも呼ばれています。現在のものは大正元年に再建されている...

義経の隠れ塔から、今度はこの吉野の奥千本にある西行庵まで歩いてみます。せっかく奥千本まで来たので是非とも行ってみる事にしました。結構な坂道を歩いて行きますが、道が整備されていないのでかなり歩きにくいですし、気を付けないと転んだり足を滑らしたりしそうです。何とか歩いて西行庵までやってくる事ができました。西行法師は平安期から鎌倉時代初期(1118〜1190年)活躍した歌人です。その西行がこの地に住んで...

この吉野は周辺も含めて、ユネスコの世界自然遺産に登録されています。まず2002年に「大峯奥駆道(おおみねおくがけのみち)」の一部として国の史跡として指定され、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界自然遺産に登録されました。奈良県の吉野から紀伊の熊野三山を結ぶ道は、元は修験者が使う修験道であり修行場として開かれた道であったそうです。熊野古道の中で最も険阻な道であったそうですが、修行...

途中看板があり、奥千本苔清水と書いてあります。実はこの水の流れは、西行の歌にも「とくとくと落つる苔清水」と歌われているのです。歌に歌われたという事は、もちろん西行が生きていた時代からこの水の流れはあったのですね。もしかしたら西行はこの水を飲料水としていたのかもしれません。水量は多くはありませんが、歴史のある水といえるでしょう。奈良県では古くから地域の人々の生活に深く関わりがあり守られてきた水や、優...