瑜伽神社

瑜伽神社

〜元興寺と興福寺大乗院の鎮守社でもあった神社〜
奈良県奈良市高畑町1059、瑜伽山中腹


-------------------------------------------------------

瑜伽神社記事一覧

瑜伽神社は奈良市にある、元興寺や興福寺にもほど近い位置にある神社です。最寄り駅は近鉄奈良駅とJR奈良駅ですが、近鉄奈良駅の方がやや近いです。近鉄奈良駅は、京都や大阪方面からも乗り換えなしの一本で来ることができます。京都駅からは、近鉄橿原線の急行で約50分、有料特急で約35分ほどで到着します。また大阪からは、近鉄難波駅からは急行で約40分で到着です。JR奈良駅には、京都からみやこ路快速で約44分です...

瑜伽神社(ゆうがじんじゃ)はもともと飛鳥の地にお祀りされていた神社だそうです。上古明日香神奈備に飛鳥京の鎮守として祀られていたという事です。それが平城京遷都に伴い、元興寺と共にこの地へ移られたという事です。そのため、この辺りの地を「奈良の飛鳥」と呼ぶようになったそうですが、雰囲気が何となく飛鳥に似ているそうです。平城遷都に伴い多くの官人達も飛鳥の地を離れてやってきましたが、望郷の念もあったのだろう...

瑜伽神社の山門入口には看板があり、国の重要文化財であるという事、そして瑜伽山全域が名勝の指定を受けているとの説明がありました。実はこの瑜伽山は、奈良十六景の中の2つを占めているのです。「瑜伽山の桜」と「瑜伽山の紅葉」がそうなのですが、春も秋も楽しめるのですね。実際に奈良は桜と紅葉の時期が最も混雑するそうですが、桜の方がより集中するそうです。花の命は短いともいいますから、どうしても紅葉ほど長くは咲い...

階段を上がって行くと、中腹に櫻楓歌碑があります。「春は又 にとひこん瑜伽の山 けふのもみぢの かへさ惜しみて」この歌は、紅葉狩りに来た作者が夕日に映える紅葉の美しさに驚き、立ち去りがたく感じて、また春にはここにきて花見をしたいと思う心情を歌ったものです。作者は梶野土佐守藤原良材であり、天保2年4月8日より奈良奉行を務め、天保7年12月8日に京都に転出するまでの6年間を奈良で過ごしました。なかなか気...

櫻楓碑のお隣には、飛鳥神並社のお社が置かれています。この飛鳥神並社は瑜伽神社の古社であり、瑜伽大神様の和魂をお祀りされているとの事です。和魂とは、柔和な徳を備え、寿命を守り給う神霊の事であります。この飛鳥神並社は息災・延命・福運の守護神でもあるとの事です。平城京遷都によって、飛鳥の地からこの地へ遷座されたわけですが、飛鳥の地では神奈備に祀られていた大己貴命の娘の賀夜奈留美命を御祭神とされていたとの...

もともとこの瑜伽神社は上古飛鳥神奈備に飛鳥京の鎮守として祀られていた神社ですが、平城京遷都と共にこの地へ移られたという事です。そして、平城京に遷られてからは、元興寺の鬼門除けの鎮守として崇められ、当時は藤原氏をはじめとして多くの人々から厚い崇敬を集めていたとの事でした。後に、興福寺の大乗院が創建されると、その鎮守社としても祀られるようになります。その時に、社名も興福寺が重んじる瑜伽の宗論にちなんで...

瑜伽神社の本殿は、享保15年(1730年)の「奈良坊目拙解」には記載されていないそうです。その事から、現在の社殿はそれ以降に造営されたものといわれています。御祭神の宇迦御魂大神は、別名を豊受大神と申し、伊勢の外宮に鎮座されている大神と御同神であらせられるとの事です。神様の持つ力はとても大きなものであり、一粒の種から万倍の豊穣をもたらすとの案内が書かれています。小を大に導き、無から有を生み出すとの事...

本殿に参拝し終わって左右を見ると、摂社がいくつも並んでいます。本殿を正面に、左側に猿田彦神社と久恵比古神社が並んで鎮座されていました。猿田彦神社の御祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)ですが、日本神話の天孫降臨の段では天の八衛におられ「上は高天原を照らし、下は葦原の中国を照らす神」として降臨を先導された神様です。その事から現代では人生の導きの神様、また交通安全の守護をしてくれる神様としても信仰を集...

本殿の反対側には、また別の摂社があります。そちらに近づいてみると「一言稲荷社」との看板がありました。一言稲荷社はその名前からも分かるように、誠心誠意をこめて祈れば、一言で御神威を賜る事ができるとの事です。その御利益は、病気や就職、縁結びに争い事や金銭上の悩みなど、人間を生きていく上での諸々の悩みや事件を解決に導いてくれる神様なのです。誠心誠意という事が大切なのですね。この瑜伽神社で本殿や摂社をお参...

一言稲荷社の右側には、平城の飛鳥の万葉歌碑が置かれています。「故郷の 飛鳥はあれど青丹よし 平城(なら)の明日香を見らくしよしも」万葉集巻六(九九二)に乗っている歌で、作者は大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)であり、天平5年の作であるそうです。この大伴坂上郎女は、万葉第三期から第四期において量・質と共に第一の女流歌人と言われています。兄である旅人が没した跡は、佐保の大伴宗家にあって一族...

瑜伽神社を後にして山を下ると、下には荒池が広がっています。この荒池は明治の時代の大干ばつを受けて、農業用水の確保を考えて完成しました。奈良はもともと昔から有力な河川には恵まれず、水に乏しい土地と言われてきました。そのため、奈良盆地のあちこちには池などが築かれ、それは今でも残って?います。しかし、明治16年(1883年)と19年(1886年)に大干ばつがあり、それによって奈良の農家は大打撃を受ける事...

荒池を奈良ホテルとは反対の方に歩いて行くと、荒池のほとりに洋風のレストランが一軒あります。有名な料亭「菊水桜」系列のレストランで、メインダイニングレストランNARA PARKです。日によってはランチはしていなかったり予約でいっぱいという事もあるのですが、覗いてみたら窓際の席が用意できるという事で、入ってみました。あまりお腹がすいていなかったので、一番カジュアルなコースにしましたが、サラダ・ポタージ...