隼神社

隼神社

隼神社 正面

元の木阿弥にゆかりの町にある小さな神社

 

祭神

隼総別命 

 

祭礼

7月7日 8月1日



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隼神社記事一覧

隼神社(はやぶさじんじゃ)は奈良市の中心にあり、近鉄奈良駅からもJR奈良駅からも歩いてこれる位置にあります。近鉄奈良駅から来る場合は、改札を出て地上に上がり、近鉄奈良駅の西側から伸びている小西通(さくら通)を南へ約250mほど進みます。そうするとちょうど東西に延びている三条通りと交差します。その交差点の左前方に隼神社があります。歩いても5分くらいの距離です。JR奈良駅から来る場合は、駅の改札を出て...

隼神社までは小西通(別名さくら通)という商店街を抜けて進みます。近鉄奈良駅から隼神社までの間に、西御門町〜小西町〜角振町と進みますが、そのうちの一つの町名が、とおり名となっています。この通りと一本東にある、東向商店街と名前のついている通りは、多くのお店が出ていて、奈良の中心となっています。多くの観光客が平日休日を問わず楽しんでいるエリアで、お土産屋からレストランまでいろいろとあるのです。素敵なお店...

隼神社の御祭神は、隼総別命(やぶさわけのみこと)であります。このあたりの町名にもなった、角振明神または角振隼明神とも呼ばれています。また、一時期椿本神社と呼ばれた事もあります。角振神とは、火酢芹命(ほすせりのみこと)の御子であり、隼神は父神でもあります。一つの神社で父と子の2神をお祀りしているということです。神社の歴史は古く、第34代舒明天皇の時代(629-641年)に春日ノ邑率川坂上にお祀りした...

この神社の規模は大きくありませんが、一応社務所もあるそうです。社務所ってどれ?と思ったら、なんと隣のお堂が社務所だという案内板がありました。そのお堂は地蔵堂伴っていて、中には木造地蔵菩薩がお祀りされているそうです。この地蔵菩薩は13世紀のものであり、奈良市の指定文化財となっています。小さなお堂ですが、ずいぶんと立派なものなのですね!社務所が地蔵堂であるというのもなかなか珍しいと思いますが、この神社...

この隼神社がある角振町は、面白い人にゆかりがある町です。遥か昔の南北朝時代、大和を治めていたのは筒井一族でした。当時の当主である筒井順昭は、天文19年(1520年)病に倒れてこの近くの南都林小路の下屋敷で養生していました。跡継ぎの藤勝(後の筒井順慶)はまだ幼く、筒井家の行く末を案じた順昭は家臣を呼び寄せてこのように話したそうです。「自分はもう長くは生きられない、しかし自分の死が露呈するときっと筒井...

隼神社の目の前の通りは、大和の国の南北を結ぶ重要な街道のひとつであった中街道です。この角振町から椿井〜東城戸〜南城戸〜京終まで続いていますが、古くは中和の藤原京まで結んでいた道でもあります。他に上街道、下街道がありますが、この三つの街道は大和盆地を南北に結ぶ重要な産業道路でもあったそうです。また、日本最初の都といわれる藤原京から平城京に遷都した時、天皇がどの道を通って平城京に遷られたかという事が研...