大和郡山城跡 柳沢神社
別名
雁陣之城
城郭構造
輪郭式平山城
築城
郡山衆及び筒井順慶
築城年
1162年(応保2年)及び1580年(天正8年)
主な改修者
筒井順慶、豊臣秀長、増田長盛
主な城主
筒井氏、豊臣氏、水野氏、柳沢氏
廃城
1873年(明治6年)
遺構
石垣、堀
その他
奈良県指定史跡
交通アクセス
電車でのアクセス
近畿日本鉄道 近鉄橿原線 近鉄郡山駅
徒歩約15分
車でのアクセス
西名阪自動車道 郡山IC → 国道24号 → 奈良県道144号
駐車場
城内に無料駐車場あり
大和郡山城跡 柳沢神社記事一覧
奈良県大和郡山市は、江戸時代は城下町として栄えた町です。豊臣秀長が、1585年に郡山城に入り、居を構えたのが大和郡山城だったそうです。そのため「郡山は秀長公の造られた町」ともいわれているそうです。江戸時代を通して、城主は何度か代わるのですが、享保9年に甲府藩主であった柳沢吉里が転封され、明治維新まで、柳沢氏が郡山藩の藩主として、治世を行ったといわれています。行き方は、近鉄橿原線の近鉄郡山駅から歩い...
大和郡山城は、今は城跡のみが残りますが、その本丸のあった所に柳澤神社はありました。初代郡山藩主の柳沢吉里の父・柳沢吉保をお祀りした神社で、1880年(明治13年)に創建されました。柳沢吉保といえば、江戸時代の五代将軍徳川綱吉に仕えた側用人で、歴史的にも有名な人です。まずは神社に参拝してみました。木の看板に、柳沢吉保の説明書きがあります。柳沢吉保ってやっぱり名前が知られているな~と思いつつ、敷地内の...
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買物も終わったので、会場を後にしようと追手門をくぐりました。ちょうど金魚ののれんがかかっていて、そういえば、大和郡山市は金魚の生産地として有名で、夏には金魚すくい選手権があると、広告に出ていた事を思い出しました。追手門を出た所に、今度は食べ物のブースがあり、暑いので、のどを潤す事にしました。屋台に桜のワインというのがあり、せっかく桜の名所に来たのだからと、飲んでみました。今日はとても日差しが強く、...