ここは「国家安康の鐘」という鐘があるので有名なお寺です。「国家安康」「君臣安楽」と鐘に書いてありますが、これが徳川家康の逆鱗に触れる事になりました。家康の名を引き裂いて呪詛するもの、そして豊臣の発展を祈願しているものと難癖を付け、後に「大阪冬の陣」へと発展していきます。今放送されている「真田丸」にもそのうちに登場してくるでしょう。この時我家は東本願寺へ分骨を納めるのが目的で京都へ向かいました。その東本願寺の前で声を掛けられ、分骨は東大谷だと説明され案内役をと声を掛けてきて、私達も京都の道路事情が分からないとあり、このおばあさんに頼んだのでした。でも、あっちだこっちだ道を教えてくれて、本当に助かりました。勿論アルバイト料を払いました。この方広寺へ行きたいと言ったら「はいはい」という感じでした。ここだけでなく、色々なお寺さんを回る事が出来てこのおばあさんには感謝でした。
By さくらさくらこまち (50代女性)時期:1978年7月